移民として生きるとは――ラッパーのMoment Joonが語る日本での表現と認識

自己表現を「○○人である前に移民」とする意味
是川:この『グローバルソサエティーレビュー』は,多文化共生をテーマに,今,何が起きているのかを知る努力をし,知りえた情報をしっかりと社会に働きかけていこうとする,かなり挑戦的な雑誌だと考えています。
私の専門は国際移民研究で,テーマは社会学,特に社会階層論の観点から研究をしています。具体的には,階層という切り口からネイティブポピュレーションと移民はどう違うのかということを考えています。また,移民自身の主体性にも注目しています。
Moment Joonさんは著書『日本移民日記』で,“移民”という言葉を正面から使ってることが印象的でした。音楽の話,ライフヒストリー,Nワードの話など,硬軟いろいろな角度から検証したうえで,「自分は○○人という形ではなく,日本で暮らす移民としか表現できない」と書かれています。そこに,移民という日本語の新しい可能性を感じましたし,この雑誌の切り開いていきたい部分だと思いました。では,これからお話をいろいろ伺っていきますが,最初に簡単に自己紹介をお願いします。
Moment Joon:現在私はMoment Joonの名前で活動していますが,本名はキム・ボムジョン「金範俊」といいます。来日したのは2010年。大阪大学の学部生として入学して,今も大学院に在学しながら博士後期課程で音楽学を専攻しています。ラップは来日前からやっていましたが,在学中,ラップ系音楽サークルの先輩たちが日本語ラップシーンにつなげてくれて,自分が日本で感じたことを日本語で表現するようになりました。2019年にミニアルバム『Immigration EP』,2020年にファーストアルバム『Passport & Garcon』を出し,渋谷でワンマンライブも行いました。
文章については,2019年に河出書房新社から出した小説『三代 兵役,逃亡,夢』が処女作です。前半は『文藝』に掲載され,その後,後半を含めた全編がオンライン公開となりました。ほかに岩波書店からエッセー『日本移民日記』を出しています。移民という言葉を意識して使うようになったのは,『Immigration EP』の少し前からで,自分の立ち位置を一番うまく表現できる言葉だと思っています。
是川:では,移民という言葉を使うようになった理由や,使うことによる効果などをお聞かせください。
Moment Joon:私はもともと,韓国人留学生たちのグループに入ることには抵抗感があり,マレーシアやロシア出身の友人と親しくしていました。日本社会におけるアウトサイダーだとは感じつつ,だからといって日本に既に形成されているグループに入って所属感を得ることは「違う」と思ったんです。常に孤独で,でも“人間対人間”としてのつながりはしっかりしていたから,そこで感じた友情や愛情を通して自分を照らして見てみました。まず,日本社会では「韓国人」と呼ばれる存在でありながら,韓国語はしゃべらず,使うのは英語。韓国人としての自覚があまりなくて,韓国人とは遊ばず,多国籍の人たちとよく遊び暮らす。そんな自分は一体どういった存在なのかと考え,共通している部分を探して見いだしたのが「移民」という言葉でした。そこで私は「○○人である以前に移民だ」と定義したんです。
是川:著書には「外人や○○人という言葉が使われるとき,個人を見ずにカテゴリーでしか見ていない,目の前の人を見ていない」ということが書かれていますが,移民という言葉を使うことで,個人とカテゴリーの関係性は何か変わるのですか。
Moment Joon:変わると思います。移民という言葉を使わなくてもいい状態が一番いいとは思いますが,“個人”を人に届けるためには,移民という言葉はいいスタートポイントになると思います。

是川:移民と言ったとき,行った先の社会との関係は,○○人,外国人のような言葉に比べると,近くなるのか遠くなるのか,そこはどう考えていますか。
Moment Joon:それは分からないですね。例えば韓国や台湾の人が,自分のことを韓国人,台湾人と自称するとプラスイメージになることが,最近の日本では多いんです。そういった人が逆に「私は韓国人である以前に移民です」と言うと「は?」となるかもしれない。日本人が韓国人を見る目が変わったこともあるでしょう。2010年代の初期は,韓国特有の髪型やファッションがダサいと感じ,韓国からの留学生は早く日本風の髪型やファッションに馴染もうとしました。でも最近は「韓国の人はイケていてかっこいい。今,韓国で流行っていることを教えてほしい」と言われるそうです。自分はファッションなどとは縁がないので教えてあげられないし,私個人は移民という言葉を使うことで,そういったメリットになれる可能性も全部蹴飛ばしているけど,他の人は,日本人から求められるイメージと本当の自分とを調整して,その社会に馴染むなど,上手に生きているイメージです。
是川:著書にある『私はあなたの外人ではない』という話や,Nワードの研究のところでの“意味の取り戻し”という部分などに,今の話がつながるのだと感じました。移民という言葉を使うことで,移動する人自身の主体性や,移動したことで広がっている世界,そして今目の前にある日常などを引き戻せる効果がある,ということですね。自分を外人や○○人だと言えば,ある種の利益を得ることもあるけれど,それはやはり外からのラベリングであって,自分で自分自身を捉え直して意味を取り戻すところに,移民という言葉を使うインテンションがあるのですね。
Moment Joon:まさにそうです。日本社会が移民と日本のリアリティーを結び付けて考えられないからこそ,自分が移民という言葉を使い,こういう生き方を見せることで,移民とは何かということを考えてもらいたいんです。また,主体性も私にとっては重要で,外国人労働者というように労働や出身国にスポットを当てられるのは嫌だし,“外人”はさらに嫌です。移民であれば「移ってきた人,民」だと表現できるのでニュートラルで中立的な言葉だと思います。
是川:労働者や外人というとき,それは受け入れる側から見た他者化された存在ですが,移民といえば主語は自分になる。それは私自身が移民という言葉を使って研究しているインテンションとすごく重なります。私も,移民自身から見た世界がどう広がっていっているのか,そこのリアリティーから出発するものを見たいといつも思っています。

ヒップホップにおける移民性の位置づけ
是川:ところでMoment Joonさんは,音楽活動において移民性を表現される際,どういう位置づけをしているのでしょう。著書では「未知なところを目指すつもりはない。日本のラップのメインストリームに訴えかけていきたい」ということを書かれています。
Moment Joon:実は本を出してから状況が少し変わっています。私はこれまで,移民の概念を体現化して話すことに意義を感じて作品を作ってきましたが,ここ最近は日本のラップが“フッド(地元,貧しかった生活)の美学”に向いています。つまり,ヒップホップが求めるリアリティーが,移民という部分から,フッド,ゲットーからのリアリティーという部分に移っているんです。ヒップホップの美学からしても,それはすごく健全だとは思っていますが,そういった音楽シーンにあって,私が移民として生きていることを音楽で表現することは,今後はあまりないだろうと思っています。
ただ,移民にもいろいろな形があるので,今後はほかの人に日本の移民の新しいフェーズになってほしいとは思っています。それは日系人,日系ブラジル人など,誰でもいい。もっと象徴性のある人が,いわゆる日本のフッドから出てくることを信じています。そして,移民も移民ではない人も,当事者たちがこの音楽を媒介にして政治的・社会的な動きや連帯というものにつなげるのか,つなげないのか,というのは,これからのことだと思います。

在日コミュニティーが築いてきたものの可能性と限界
Moment Joon:私は在日コミュニティーにはすごく誇りを感じています。ニューカマーとして来る人のなかには,自分たちの経験と歴史の共通性を読み取れる人もいて,そこは本当に成熟していて,私もああなりたいと思う人が多いです。
是川:私も在日コミュニティーについて勉強していると,そこで蓄えられたさまざまなまなざしや体験が,ニューカマーを受け入れるときの伏線として生きていて,我々がそれと知らずに取ってきた見方なども,実は在日コミュニティーとの付き合いのなかで日本社会に蓄積されてきた振る舞い方や考え方だと気づくことが多いです。
Moment Joon:政治的であったことが,在日コミュニティーが今まで残り,自分たちの経験を他の人と共有する原動力になれたのだと私は思っています。ただ,皆が一緒に上がっていくための政治力みたいなものは,昔と比べると少なくなっている気がします。日本の今の社会的風潮が,そういう自覚を持ちにくくさせているのかもしれません。でも在日の人たちがいなかったら,今の日本はもっと暮らしにくい国だったのは確実だと思います。
是川:在日との歴史が,アメリカでいう公民権運動のように,“多様性を受け入れて社会がフレキシブルになっていくうえでの礎になっている”と言う人もいます。
Moment Joon:そうですね。ただ,私はいろいろなことを文化的,芸術的なもので理解するので,例えば『パッチギ!』や『GO』といった映画はとても評価していますが,彼らがやったことから照らして今のマイノリティーの人たちに何ができるかを考えてみると,そこからは正直,限界が見えてしまいます。例えば彼らが,“在日コリアンや絶対多数の日本人を感動させるような作品”ではなくて,“複雑で多面的ですっきりとした結末のない作品”を提示したら,日本のメインストリームの芸術界で果たして正当に評価してもらえるでしょうか。それがいくら芸術的に優れていたとしても,結局はマイノリティー音楽,マイノリティー芸術,マイノリティー性というくくりになってしまうのではないか。そこを危惧し,限界を感じます。
日本語を話す人に自分の思いを届けたい
是川:Moment Joonさんは,表現活動するとき,基本ベースは日本語で表現しています。幾つもの言葉が使えるなかで,あえて日本語を使う理由を教えてください。
Moment Joon:聴いてもらいたい人,読んでもらいたい人が日本語をしゃべれる,日本に住んでいる人たちだからです。逆に,他の国に住んでいる人たちに自分の音楽が聴かれるという想像はできません。自分が歌いたい内容は日本で経験して生まれたものだから,それを日本に住んでいる人たちに届けることは,僕からするとすごく自然です。
文章を書くときは自分の不自然な日本語と闘いながら,それでも人に届けたいから書くのですが,ラップは,どちらかというと第4言語のような感じで書いています。ラップの歌詞を書く場合,「ライムや韻を踏む」「リズムを計算して言葉を話す」など,いろいろなルールがあります。10歳のころから英語,韓国語,日本語といろいろな言語で書いてきましたが,基本的なルールは同じなので,中身が変わったとしても大きな骨格はそのまま残っている。だから日本語でラップの歌詞を書くときもラップの文法が最も重要で,逆にそこに自由を感じています。最近は,どちらかというとシニカルで絶望はしているけれども,それについて笑いたいという人たちに届けたい気持ちが大きいです。また,今,長い小説を準備していますが,そちらは自分の優しさや希望,夢を届けたいと思っています。シニカルなものは音楽で,希望を感じさせたいものは文章でと,分かれてきています。
是川:それは面白いですね。受け取る側は,音楽から入るか文章から入るかで,Moment Joonさんの印象がだいぶ変わるわけですね。では最後に,このジャーナルに対して,何か期待することなど,一言を頂けたらなと思います。
Moment Joon:私は移民社会が日本のメインストリームの社会と分離されることが,必ずしも悪いとは思っていません。完全に理解してもらう必要もなく,自分たちで持続可能なエコシステムのようなものをつくり,その上で,日本のメインストリームの社会との関係を設定していけばいいと思っています。だから,このジャーナルにも頑張ってほしいけど,それ以前にまず,私たちが頑張って,もっと魅力的で,もっとセクシーで,もっと感動的なものをつくり,日本の人たちにダイレクトに届けていきたいと思います。
是川:それはまさに最初にお聞きした移民という言葉に込められている主体性や,ラップにおける意味の取り戻しということですね。私もそういう意味でいうと,一人の作り手として負けないようにしっかりこのジャーナルをつくりたいと思います,どうぞ今後ともよろしくお願いします。本日はありがとうございました。
