座談会

多文化共生社会とは?

是川 夕
編集委員長/博士(社会学)/国立社会保障・人口問題研究所国際関係部 部長
是川 夕
東京大学文学部,同大学大学院人文社会系研究科修士課程修了後,内閣府に勤務。2012年から同研究所に勤務。専門は社会人口学,移民研究。出入国在留管理庁「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議」委員,OECD 移民政策専門家会合(SOPEMI)メンバー等を務める。
コチュ オヤ
編集委員/株式会社Oyraa 代表取締役社長/一般社団法人外国人雇用協議会 理事
コチュ オヤ
トルコ生まれ。大学で電子通信工学を専攻し,2006年に日本のオムロン株式会社のインターンシップに応募し,初来日。滋賀県水口町(現・甲賀市)で暮らすなかで日本文化に心酔。大学卒業後,東京大学の研究員となる。13年に大学院工学系研究科を修了後,日本でボストンコンサルティンググループに就職。17年,株式会社Oyraa を創業し,153か国の言語の通訳者を即時に呼び出せるアプリを開発し話題となる。18年,日本に帰化。現在,株式会社Oyraa 代表取締役社長のほか一般社団法人外国人雇用協議会 理事も務める。
北村 英哉
東洋大学社会学部社会心理学科 教授
北村 英哉
1982年,東京大学教育学部教育心理学科卒。91年,東京大学大学院社会学研究科社会心理学専攻博士課程修了。2018年より東洋大学社会学部社会心理学科 教授。主要な専門分野は人間関係,対人認知。ここ数年は,ダイバーシティが高じるなか,日本民族がリスペクトされ生き延びる方法を心理学的アプローチから行う。ジェンダー問題,民族問題,障害者問題などを切り口に「ダイバーシティ&インクルージョン」をテーマにした講演を多数開催。社会心理学的には,思い込みや偏見から差別が生じるアンコンシャスバイアスなどの問題を扱うほか,ヘイトやネット炎上の起因を探る感情心理学なども研究領域としている。
額賀 美紗子
編集委員/東京大学大学院教育学研究科 教授
額賀 美紗子
東京大学教養学部卒,カリフォルニア大学社会学部博士課程修了(社会学博士)。幼少期に海外に滞在した経験から,国際移動する家族が直面する問題に関心をもつ。移民の子どもの教育機会やアイデンティティ葛藤,移民の親の子育て,多民族化する学校や地域社会の課題を国際比較の視点から研究している。日米の学校や移民コミュニティでフィールドワークを行い,多様性を包摂する教育のありかたについて検討してきた。主な著書に『越境する日本人家族と教育―「グローバル型能力」育成の葛藤』,『移民から教育を考える―子どもたちをとりまくグローバル時代の課題』など。

「忖度」「空気信仰」「斉一性」を重視する日本でエスニックダイバーシティをどう受け止めるのか

是川:本日は,日本のエスニックダイバーシティの高まりについて議論を進めていきたいと思います。現在,日本には約300万人の外国籍の人が在住していますが,それは単に外国籍の人が増えたという話にとどまらず,帰化する人もいれば,国際結婚カップルに生まれた第二世代の子どももおり,そのなかでも両親の出自を自分のアイデンティティに取り込む人もいれば,そうでない人もいる。つまり量的な増加は質的な複雑性を内包し,そこがどう変化しているのかを見極める必要もあります。こうした点を踏まえつつ,現在の日本におけるエスニックダイバーシティの高まりについて,それぞれのお立場からお考えを聞かせてください。

北村:エスニックダイバーシティが高まると,社会の人口構造が変化します。心理学的な立場で考えると,まず,我々日本人が,日常の行動にどんな変化を求められるのかを考える必要があります。たとえば日本人の所作・ふるまいのひとつに“以心伝心”があります。「言わなくても伝わる」「忖度する・される」文化です。それが成立するのは,日本社会の斉一性が高く,流動性が低いから。しかし,多文化共生社会になれば文化背景が異なる人と交わるため,「言わなければわからない」社会になる。当然,教育現場でも「言わなければわからない」ことを教える必要があるのですが,これまでのように教師が一方的にしゃべり,子どもはただ聞いているだけ,という「一斉教育」「受け身の教育」では,子どもの発言力や主張する能力は育ちません。そこを是正し,自分から発言できる子どもを育てることが大事になるでしょう。

是川:ここ10~20年,統計的には日本社会に多様性は増えていますが,まだまだ斉一性が高く,「予期が成立する」社会であることは確かです。北村先生から見て,心理的メカニズムやふるまいのレベルで何か変化が指摘される調査や研究はありますか。

北村:たとえば,大学の講義中の学生の発言時間について見ると,国際基督教大学など国内でもダイバーシティに慣れた大学では発言時間は長いものの,ほかの大学では総じて短めです。その差は圧倒的であり,ここ10年で変化はしていません。また,「友達と意見が違ったとき,自分の意見をあくまでも主張するか」と質問すると,「主張する」と答えた学生の割合は,10年前よりもむしろ減っています。空気を読んで,周囲に合わせる人が増えているわけです。僕はこれを「空気信仰」と呼んでいるのですが,悪目立ちするような変わったことは発言せず,周りと違う感想・要望を持っているときも,ことさら主張しない学生が多い。忖度する文化や空気信仰は,伝統的思考かと思われがちですが,実はその傾向は若い人のほうに顕著に感じます。

是川:忖度する傾向は,年齢が上がれば変わるということはないのですか。

北村:それが変わるんです。日本は社会全体で年功序列的な風潮がいまだに強く,たとえば中学での部活では,2年生は3年生には服従し,1年生には尊大な態度になります。こういうしつけが学生のころからなされているので,社会人になって初対面で気にするのは年齢で,年上か,年下かによって態度を変える,つまり年齢に非常に敏感な社会になっています。ですから,5,60代になると組織内での発言権が自動的に強くなり,尊重され,反対されないので,自分の意見が通りやすくなります。逆に若年者は,どんな意見を言っても反対されることが多く,自分が言ってもどうせ通らないだろうと意見を控える。高齢者ほど発言権が強くわがままになり,下の人は,そのわがままを許し,圧力に屈し忖度をする。それが現在の日本の社会といえます。

コチュ:確かに日本では,外国と比べると,若者が自分に自信を持たない傾向を強く感じますね。ドイツで大学に通っていたときは,根拠がなくとも自信をもつ若者が多かったけれど(笑),日本人は若い人ほど謙虚だし,クラスルームのなかでもあまり目立たない印象でした。

額賀:同調圧力が強いのは,日本の教育の特徴のひとつです。異論を言うことは人格攻撃だと勘違いされやすく,傷つけ合わない関係が重視されやすい。日本の学校では,「仲良くする,異論を言わない,はみ出ない」ことが子どもたちの関係づくりで規範となりやすい一方,アメリカの学校では,ひとりひとりが違っていることがあたりまえなので,個性がぶつかり合いながらもゆるく繋がっていくことが目指されます。日本の場合,移民背景のある子どもが入ってきても同調圧力に押しつぶされ,自分のアイデンティティを隠してしまうことがよくあります。小さいときから他の人と“違う”ことにネガティブな意味づけがされているのは辛いですね。

エスニックダイバーシティが高まるなか迫られる学校教育の対応とは

是川:教育の現場を長年見てきた額賀先生からは,エスニックダイバーシティの高まりについてはどう見ていますか。

額賀:移民背景のある子どもは増えています。文科省が「日本語指導が必要な児童」について2年ごとに統計を取っていますが,10年前と比べて1.7倍になりました。日本生まれであっても就学前は家庭で親の言語を話しているため,小学校に入学したときに日本語の理解が不十分で授業についていけない子どももいます。しかし,そうした子どもの移民背景は学校ではあまり認識されていなかったりします。そもそも,統計の取り方もかなり恣意的で,標準的なアセスメントが一応あるのですが,それを採用している学校はごく一部で,実情としては先生の現場判断に任されています。結果,客観的な指標によらず主観に頼り,「この子はある程度日本語が話せるから特別な指導は必要ない」と判断される場合もあり,本当は支援を必要とする子たちが教育現場のなかで掬い取られていないことを危惧します。また,言語の課題にばかり焦点があたり,日本語力が十分あると判断されれば,移民ならではの障壁を考慮せず,日本人と同じように扱われることも問題だと思います。

北村:外国人の子どもたちをサポートする先生や補助教員が入るなど,何か行政的手当てはないのですか。

額賀:この20年ほどの間に多文化共生をスローガンにした統合政策は教育分野でも進んでおり,「特別の教育課程」による日本語の取り出し指導や,授業への入り込み支援,放課後の補習などが多くの学校で行われるようになりました。ただ,日本語指導が必要な生徒がある程度人数がいないと,日本語指導の教員は加配されません。全国の7割ぐらいの学校では,日本語指導が必要な生徒が4人以下で,そうした学校では日本語指導を担当する教員が不足するため,取り出し授業ができなかったりします。地域や学校による支援格差はとても大きいです。また,海外ではバイリンガル教育を導入している国もありますが,日本では母語支援はほとんどありません。本来,母語や母文化は尊重されるべきで,すべての子どもの権利を保障する社会的公正の視点に立ったダイバーシティの尊重が日本の社会には欠けていると感じます。

是川:教育における多様性,ダイバーシティを考えるとき,日本の教育現場は外国人がらみに関わらず斉一性を期待する程度が高いように感じます。これは日本の教育制度に特有の問題なのか,それとも教育そのものがそういったドライブを持つものなのでしょうか。国際規格からしてもそうなのですか。

額賀:カリキュラムやテストを標準化しようとする運動は多くの国に見られます。ただ,アメリカなどは,そもそもダイバーシティが前提でそれを尊重しようとする歴史がつくられてきたので,標準化に対する抵抗勢力も強く存在します。一方,日本の場合は,同質性が前提となった教育が浸透し,それが生徒全体の学力の高さにつながってきた歴史もあり,ダイバーシティについてはニッチな領域であるとして看過されたり排除されたりしがちです。

北村:日本の教育の問題は,カリキュラム主義になっている部分かもしれません。いつまでに何を覚えなくてはならない,といったことが決められ,しかもそのカリキュラムは年々厳しくなっていく。教員はそれを消化することに必死で,少しでも授業が遅れると親から糾弾されるなど,皆が斉一化を望む。結局,「中学卒業までに全員で斉一の知識を獲得する」という知識重視の教育になってしまっています。欧米には,「学び方を学ぶ」という考えがあり,コンテンツについては大人になっても学べるというスタンスをとります。一方,日本はあくまでコンテンツ主義で,コンテンツとして何を学ぶかが決められている。結果,集団一斉教育になり,ダイバーシティをそぎ落としていく。まずカリキュラム主義はやめて,自分で面白いことを調べて,ディスカッションしようという教育に変えられれば,ダイバーシティとの相性はいいでしょうね。

是川:私が教育の現場で問題だと思ったのは,多様性に対する識別子が言語しかないことです。額賀先生が仰っていた通り,言語問題がクリアになると個人的な問題すべてがクリアされたと思われて,ほかの問題への対応が手薄になるようです。本来,多様性の識別子は教育の現場で多く持っているべきだし,研修などで共有するべき知識のはずです。この20年のなかで,学校現場で多様性の識別子が増えているとは感じますか。

額賀:先生によって温度差は感じます。子どものバックグラウンドを学び,自分が学ぶ側にまわり,自分の当たり前を相対化しようという認識に到達している熱心な先生もいますが,一方で,「日本に来たのだから日本語を学び,あとは日本人と同じように学びなさい」と,対話もなく,ただ日本文化の押し付けをしてしまう先生もいます。ただ,学校現場は非常に忙しく,先生方は生徒や保護者と対話する時間もないので,そういうやりかたを取らざるを得ない面もあります。教師が多様性と公正性について学ぶ機会を増やすことが重要ですが,残念ながら今の日本の教員養成課程には,そうした内容はほとんど組み込まれていません。

北村:先ほど,コチュさんから「日本人は自信を持っていない」という指摘がありましたが,自信がない理由は教育現場にもあります。教育現場では,子どもの良いところを積極的に見つけ,アップしようとするマインド設定がとても大事で,その過程で子どもは自信を持ち,自分を肯定できるようになります。教育心理学のなかにも,子どもの自尊心を育てる教育はありますが,日本ではあまり浸透していないようです。だから,算数が得意だけど国語が苦手な子どもに対しては,「来学期は国語を頑張りなさい」と言ってしまう。ひとつの得意なものを伸ばすよりも,どれもぬかりなくジェネラルにできる子にしようとする。誰だって苦手なものはあるのに,苦手にばかり注目されて指摘されれば,自信はなくなります。長所を思いっきり褒めて伸ばし,それで自分の将来を描こうという考え方をベースに,これからの教育の在り方を考えるといいのではないかと思います。

日本社会における斉一性の保持と多文化受容のバランスのとり方がカギとなる

コチュ:私は17年間日本で暮らしていますが,昔は,外国人というと中国人や韓国人,ベトナム人が多かったのですが,最近はインド系,アフリカ系など,これまであまり見かけなかった人が増えており,まさにエスニックダイバーシティが高まっていると感じています。ただ,日本の移民政策について,今後は,日本が「誰を」受け入れるかについては慎重に考えたほうがいいと思っています。もちろん,少子高齢化,人手不足というイシューがあり,短期的に労働力として外国人を受け入れる必要性はあるでしょう。ただ,その割合が高まり,彼らの付加価値が「チープレイバーである」ことだけになるのは怖いなと思います。日本は技術大国であり,最先端技術があるのだから,単純労働などはロボットやテクノロジーに任せて,日本の経済や政治力を強くさせられるようなブレインとして長期的ビジョンで戦略をたてたり,クリエイティブな思考をしたりするなど,日本を強くする外国人人材を受け入れることに集中しないといけないと思います。

また,外国人の側も日本の生活スタイルや文化にきちんと対応する必要があると思います。文化的背景が異なるので,トラブルは生じるかもしれませんが,お互いの文化を尊敬しあい,歩み寄ることができれば共存できるはずです。いろいろな問題が起こった結果,差別やヘイト,カテゴライズ化,外国人排除などが起こることが一番懸念されることです。

是川:日本のいいところを残しつつ,どう外国人を受け入れていくか,というのは重要な部分です。コチュさんからみて,外から入ってきたときに,どんな「日本社会のエッセンス」を学び,伝えるべきだと思いますか。

コチュ:あくまで私見ですが,日本社会が円滑に機能している要因の一つに,互いに尊敬し合う文化があると思います。たとえある人の意見が高く評価されていなくても,批判的な発言を控えることで,調和が生まれるのです。また,日本の均一性が国の安全性と安定性に大きく寄与していると考えています。“忖度”や“言わなくても分かる”といった日本特有の文化には,良い面も存在しています。もし日本が突然アメリカ式の文化に変わってしまったら,私は残念に思います。ただ,この文化の本質を一言で言い表すのは難しいですが,恐らくそれは人間性,コミュニケーション能力,ルールを守る精神などに関連しているのではないでしょうか。

是川:「斉一性」と「例外を認める」ところのバランスは重要ですね。また,ルールを守るという部分は,「予期が成立する」からこそ成り立っている面もあるのでしょう。それをパニッシュメント(処罰)によって守らせても,暮らしやすい社会にはなりません。「同調圧力」までいくと辛いですが,互いを尊重し合えるくらいに斉一性があるということが,ハーモニー(調和)につながるのでしょう。「予期が成立する」ことは,人間にとっては,ある意味心地よい,心理的安全性が守られた状態ではあると思いますが,「予期が成立しない」状態がどこまで人間にとって許容範囲なのかは難しい問題であると同時に,それによってハーモニーを予期するのか,カオス(混沌)を予期するのかによって,人のふるまいは,ある時点から変わるのかもしれません。そのへんがバランスなのであり,核心でもあると思います。

多様性を尊重する社会に向けて日本人が今後求められること

是川:では今後,日本社会にストレンジャー(見知らぬ人)が多くいる状態になったとき,日本人はどう反応していけばいいのでしょう。この社会に暮らす人の心理的安全性は,どのへんがバランスとしてのターゲットになるのでしょうか。

北村:それは,やりながら手探りで考えていけばいいのではないでしょうか。確かに予想されたことしか起こらず,予期した決着になる社会は安心で生きやすいけれど,タフさがありません。アメリカではよく“チャレンジ”といいますが,たとえば,予定していた荷物がその日に届かなかったとしても,問題解決にチャレンジし,乗り越えて生きていることに,ある種,楽しさを感じている部分があります。日本でも,否応なしにチャレンジに晒されることに“慣れ”をつくっていくといいと思います。

そのためには予定調和ではないコミュニケーション,たとえば会議の席で予期しないアイデアが出て,切磋琢磨するという訓練を,子どものころから行うことが大事ですね。議論というと,日本はすぐ喧嘩や対立と捉えがちですが,AとBという異なる意見が出たとき,A対Bではなく,A×Bで新たなCという考えが生まれるというトレーニングをすべきです。そもそも,AとBしか考えがないということ自体発想が貧弱で,本来は論争してwin winになるものです。こうした生産的な議論に慣れていくことが大事なのでは。

是川:斉一性が失われることは,ある程度はポジティブな刺激になるので,確かに慣れることは重要ですね。日本のハーモニーの部分と多様性の部分がポジティブな刺激を受けて変化していければ,理想的な形になるのでしょうね。そのためには教育的な仕掛けとか,いろいろな社会生活の場面で日本文化の均衡点をちょっとずつずらしていくことが重要なのかもしれません。

私の中国人の友人が中国でコンサルティングの仕事をしているのですが,日本的な調和を重んじる経営哲学をベースにしたコンサルタントで実績をあげています。中国では利己主義が強いので,アメリカ流の利己主義的経営手法を導入してもあまり伸びしろはなく,逆に日本式のコンサルタントは新鮮で業績が伸びているのだそうです。利己主義×利己主義では伸びないというのは,ひとつ,日本文化の均衡点を少しずつずらしていくという話と通じるのかなと思います。

額賀:日本のハーモニーを重視する教育は,アメリカの研究者には驚きのようで,モデルとなるべき教育だと称賛され,80~90年代にかなり研究されました。日本の研究者からは,同調圧力じゃないかと思える部分でもあるのですが,個人主義の行きすぎが懸念されているアメリカの研究者からすると,学力の高さとともに日本の協同的な教育は理想的に見えたようです。ただ,調和を建前に異質なものを排除する方向にも向かいがちなので,均衡点を見つけるのは大事ですね。

コチュと額賀

日本文化の特質をさらに拡張させることでグローバル社会で認められる文化となる

是川:先ほど,斉一性や尊敬しあうという面と,多様性の面との均衡点をずらすという話が出ましたが,一方で,拡張していくという点もあると思います。日本人は尊重し合う文化だと言われますが,全部を尊重しているわけではありません。たとえば,環境的なところは尊重しても文化的背景にまでは目が向かない。つまり尊重し合う文化自体にも,まだ拡張の余地があるように思えます。実際に関わる人の多様性が増えていけば,当然そういう拡張作業が求められます。たとえば,「日本人は助け合いの精神があり,親切だ」と言われますが,街中で困っている人を助けることについては,海外の人のほうが長けてるとも言われます。

北村:統計で見ても「ストレンジャーに声をかける」という項目で,日本は世界で144位,下から2番目という結果が出ています。

是川:それはつまり,現場での調整力が低いということです。社会システムはしっかりしていても,現場でストレンジャーズ同士声を掛け合うという調整力は低い。ハーモニーを重んじるといいつつ,見知らぬ人へは親切にできない,ある種,個人主義的な面があるわけで,そこに拡張する余地が残されているように思えます。

是川と北村

北村:日本人の場合,尊重しすぎて忖度して,傷つけ合わないようにと,積極的な触れ合いを恐れる傾向があります。相手を尊重しているため,「こんなことで助けを求めたら相手に迷惑をかけるのではないか」と思い込んで忖度するので援助要請が苦手です。でも,助けを求めた結果,あなたを助けられた相手は,そのことをうれしいと思うかもしれない。それが,「相手を信じる」というベクトルです。そこがないので,お互いに踏み込まず,恐る恐るになってしまっている。困っている人を助けられない根底には,こうした心理作用があると思います。

額賀:アメリカではバス停で見知らぬ人同士が会話するなど,セレンディピティ(偶然の出会い)が多いけれど,日本では少ないですね。小さいときから自分とは異なる人たちと触れ合う機会が少ないことも原因でしょう。日本では階層化が進んでいて,たとえば中学受験が流行する背景のひとつには,公立学校でいろいろな階層の子と学ばせるより,親の収入や学歴が同じレベルの家庭環境の子と一緒にさせたいという親の思いがあります。こうした階層間の分断が日本人同士でも進む中,違う国の人が入ってくるとまったくの他者と認識され,わからないので避ける,という線引きが気持ちの上でも制度的にも起こります。

移民政策にも問題があり,外国人は「一時的な滞在でいつか帰る人」と捉えられているため,彼らの権利を保障するなど,日本社会の一員になってもらうためのロードマップが全くないと感じます。先ほど高度人材の話が出ましたが,海外から受け入れることももちろんいいのですが,今いる移民背景の子たちも,将来,高度人材になる可能性のある子たちです。母国とのつながりを持ちながら,日本人は言わない“空気を読まない”意見を,おそらくたくさん言える人たちです。そういう人たちを育てる仕組みをまず整えることも重要なのではと思います。

是川:移民の子どもたちのなかからの高度人材というのも,数は増えていて,うまくチャンスを掴み,自分の選択肢を実現し,グローバル人材として活躍している人はたくさんいます。そこは,もっと見ていくことが大事ですね。

コチュ:私の外国人の友人にも日本企業で働いている人はいますが,結論から言うと,出世できず,キャリアの先が見えないというあせりがあって,9割以上が帰国しています。みんな日本が好きなのに。企業も社会も責任を持たないまま外国人を採用するのはよくないと思います。もしも高度人材を受け入れたならば,彼らにどんなオポチュニティを与えるかは,最初に考えておいてほしい。現在,かなりの高度人材が低賃金で働いている実態があり,「アメリカや中国だったらもっと高い給料がもらえるはずだ」と嘆いています。こうした現実を直視し,解決策を考えていただきたいですね。

コンテンツ案や展開方法,読者ターゲティングなど本ジャーナルに期待する役割を考える

是川:それでは,最後に,このジャーナルの今後の役割について,少し忌憚のないご意見をいただければと思います。このジャーナルは,アカデミックに軸足を置きつつ裾野は広く,ソフトなコンテンツも入れていく予定です。多文化共生を切り口とした既存の雑誌はないので,読者の関心や活動を広げていくプラットフォーム的な位置づけにしたいと思っています。耳障りのいい記事に終始しない硬軟取り混ぜた内容を目指すためにも,今後の雑誌の方向性や企画などを提案してください。

額賀:移民の子どもの教育を考えるうえで,いろいろなステークホルダー,たとえば移民の保護者,教員,管理職,ソーシャルワーカー,スクールカウンセラーなどがコラボレーションする重要性を常々感じています。そこで,それぞれの立場の課題感とその解決案などを持ち寄り,座談会を設けたらどうでしょう。同じ現象を見ていても切り口や問題関心には違いがあり,それを立体的に浮かび上がらせることができるかもしれません。

コチュ:私は,想定する読者について,ちょっと提案があります。現在は,自治体から研究者,政府関係者,企業,メディアなど,かなり幅広いところに設定していますよね。もちろん幅広いことの利点もありますが,興味や関心は人によって異なるので,すべての人に刺さるコンテンツを作るのは難しいと感じます。たとえば,最初は読者のターゲティングを絞り,彼らに刺さるように仕上げたうえで,横に拡張したらどうでしょう。たとえば,最初は政府関係者や企業,ビジネスマンをターゲットにしたらどうでしょう。

是川:ビジネス分野は,外国人労働者に関心が高そうでいて,この20年で見ていても,思ったより広がっていない分野だと感じます。経団連の人など,いまひとつ外国人労働者に対する意識が低く,経団連加盟の大企業も留学生はたくさん雇っているのに,経営者は「サプライチェーンの末端にはいるね」というレベル。自分たちには関係ないと思い込んでいる気配があり,ビジネスセクターは確かにターゲティングとしては大事です。コチュさんは,関心が高そうなのに情報が届いていないのはどの領域だと感じていますか。

コチュ:意識が上達していないと感じるのは,技能実習生を雇っている企業。特に中小企業にはチープレイバーという認識が強いと思います。また,大手企業は大手企業で,ダイバーシティ=IRという,表面的な捉え方をしている側面があり,とりあえず外国人は雇うと広報しますが,蓋を開けてみると実態は伴っておらず,IRのワンツールとしてしか考えていないことが多い。だから,意識向上の意味で企業はターゲットだとして,大手企業と中小企業では悩みごとが異なるので,分けて考えるべきでしょう。

北村:私は,政府関係者や自治体関係者が手に取ってくれるのはいいことだと思います。やはり政策を発案・決定していく部署に影響を及ぼすことが,社会が変わっていくうえで重要だと思うので。成功事例などを載せて「参考になる」「自分のところとも関係しているかも」など,思ってもらえる工夫があるといいですね。たとえば,この編集委員会では当事者を交えて会議ができていますが,そうでない組織がたくさんあるので,当事者を含めてミーティングすることの成功事例などを記事にするのは意味のあることだと思います。

是川:あとは,純粋な研究論文のほか,しっかりとしたエビデンス(根拠)がありつつ一般の人が読んでもわかるものも掲載したいですね。実務家の人に原稿依頼するほか,インタビューの形で聞いて書き起こすパターンもあるといます。統計なども少ないので,詳しい人をお招きして紹介いただくのもいいと思います。読者をターゲティングしつつも分野を問わず,キーとなる情報や意見を持っている人に自由に寄稿してもらえるようにしたい。webに載せるという話もあるので,映像コンテンツも視野に入れたいです。

北村:自分の知らない世界を動画で見るというのは,わかりやすい情報の入れ方だと思います。中東の人の食事場面やエスニックコミュニティのお祭りなど,人々が普通に楽しそうに生活している場面を見せることで,思い込みの偏見から解放されることはあります。

額賀:確かに食べ物や音楽,アートなどのカルチャーなども取り入れて,第一線で活躍されている移民出自の方を紹介するのは面白いですね。

是川:お話をしていると,さまざまなお立場から本ジャーナルへの期待が感じられ,方向性なども見えてきたように思えます。ターゲティングの絞り込み,コンテンツの精査,動画への連動など,制作していくなかで,また,みなさんと考えていきたいと思います。本日は貴重なご意見,ありがとうございました。

(2023年7月27日)

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