特別寄稿多文化共生社会の構築における課題とは

多文化共生社会の構築における課題とは

ウスビ サコ
京都精華大学
ウスビ サコ

近年,グローバル化が進み,それによって様々な社会課題が顕著に現れています。グローバル化,都市化,市場経済主義などによって地域社会や社会基盤が共同体から集合体へと変容してきました。これから,グローバル化された社会に新たな価値を創造する必要があると思われますが,その方法論が見出せないのも事実であります。本稿では,社会の変化を見据えつつ,多文化共生社会の創造や構築に何が必要なのかを述べています。

はじめに

このお題を設定した時に思い浮かんだのは社会を構成する人々の多様性とアイデンティティの問題です。誰もが一度悩む問題は自分のアイデンティティと社会的役割,位置付けであります。私にとっても文化的アイデンティティについて深く考えた時期がありました。様々な国を訪れ,長期に渡ってアフリカの外に住む「マリ人」として,文化的アイデンティティとその表象が持つ意味の重要性を理解させられてきました。アフリカの外に住む私たちは常に,自分自身の特定(規定・認識),他者と自分,多文化と自文化の違いや認識に疑問が湧いてきます。私は高校卒業と同時に国の奨学生として中国へ留学することになりました。中国へ渡航したさい,数日間パリに滞在しました。私にとってフランスが初めてアフリカ外に訪れた国でしたが,そこで受けたのはカルチャーショックだけではなくヒューマンショックでした。初めて「人種」を意識させられ,さらに人種,社会的背景や出身,民族による格差も目のあたりにした出来事がたくさんありました。それまでマリで生活した際,民族の違いはあるものの,先述のような差別や格差を考えたことはありませんでした。

近年,グローバル化が進み,それによって様々な社会課題が顕著に現れています。そこでまた世界が悩まされた新型コロナウイルス感染症が現れ,我々の社会生活や社会のあり方,人々の関係性が一変してしまいました。コロナ禍では,「私の原点はなんだろうか?」という一人ひとりが自分の存在について問い直す重要な機会が与えられ,「共生社会」の意味を問う機会でもありました。多くの人々が原点を問い直すなかで,人によってその違いに気づき,多様性や共生社会の実現とつながる大切な指標であることが分かりました。便利で画一的な社会では既存の「当たり前」が共通の価値観とされてきましたが,根源にある各個人の原点はバラバラで,一つ一つ違った「当たり前」を持つことが見えてきました。

グローバル化,都市化,市場経済主義などによって地域社会や社会基盤が共同体から集合体へと変容してきました。また,技術革命によって人々の関わり方が変化し,働き方も多様化してきています。これまで想像しなかった社会課題が多く出現し,論理的思考だけでそれらの解決には至らないことが分かりました。これから,グローバル化された社会に新たな価値を創造する必要があると思われますが,その方法論が見出せないのも事実であります。本稿では,社会の変化を見据えつつ,多文化共生社会の創造や構築に何が必要なのかを検討したいと思います。

1.社会の変化の認識と多文化共生の必要性

2023年3月末で私の日本滞在が丸32年となりました。私の住む京都では,次第に少子化と高齢化が進み,空き家も増え,いくつかの町家がマンションや駐車場に建て替えられ,血縁的,地縁的な地域社会が変容しました。また,居住する外国人も増え,祇園祭をはじめとする地域の祭祀では外国人の姿やその子どもたちの姿も目立つようになりました。社会そのものの多文化性が進んだわけです。文化の芯の部分を大切にしつつ外来の変化に対応してきた京都でも,新しい「共生社会のモデル」の実現ができたら良いと考え,これまで活動や研究を続けてきました。

長年,多文化共生社会の構築が話題になり,ゴールにたどりつくことはいまだにありません。多文化共生が誤解されて定義されたのではないかとも考えられます。一定の定義がない文化が複数一つの社会を構成することは,その対象となる人々の立ち位置が重要になります。「文化は,多かれ少なかれ組織化され,集団の個々人によって学習され,あるいは創造された経験の派生物から構成されるものであり,過去の世代や同時代の人々から伝達されたイメージや符号化されたもの,あるいは個々人自身によって形成された解釈(意味)を含む。」と定義されることがあり,「[文化]とは,あるグループやカテゴリーに属する人々を他のグループやカテゴリーから区別する心の集団的プログラミングである。」と定義されることもあります。

オランダの文化人類学者のHofstede氏は「ある集団で共有されているが,各個人にとっては異なる態度,価値観,信念,行動の集合であり,ある世代から次の世代へと伝達されるものである」。と定義されました。また,松本氏は「文化とは,ある集団で共有され,各メンバーの行動や他の人々の行動の「意味」に対する解釈に影響を与える基本的な前提や価値観,生活への志向,信念,方針,手続き,行動規範のファジーな集合である」と解釈しました。先述の定義を見てわかるように,文化を定義するのは難しいと考えられます。1952年,アメリカの人類学者であるKroeberとKluckhohnは,文化の概念と定義を批判的に検討し,164の異なる定義のリストをまとめました。それぞれが注目する文化の特徴を考えてみると,文化とは知識,信念,芸術,道徳,法律,習慣,その他人間が社会の一員として身につけた能力や習慣を含む複雑な全体であると言えます。

文化を考えるさいに,文化と伝統を混同する人が多いように思います。ここで,伝統と文化の違いについて言及したいと思います。伝統とはある社会,地域,民族など共同体の構成員の間に一定の規範(しきたり,慣習,儀式など)を継承する行動,事柄があります。その伝統は社会の中で固定的とされ,それを代々で受け継がれることが重要であるとされています。一方,文化とは,先ほども述べたようにある集団の構成員が共有する行動,慣習,記号などの集合体であり,構成員が変われば文化も更新され,重複することもあると考えられます。ここに,多文化共生の重要な指標が含まれています。つまり,構成員が変われば,文化というものはその構成員が歩み寄り,学習し合うことによって時代や状況とともに変わることであります。多文化共生の大きな問題は主要文化と異文化を持つ新しい構成員が周縁文化と位置付けられ,既存の構成員との意識の違いがあるからです。

2.異文化の捉え方と他者指定

異文化をどのように捉えるのか,また異文化を持つ他者をどのように指定するのかが日本社会の独特な課題があると考えられます。私も日本でよく経験しましたが,新しい人と出会うたびに,出身地を聞かれ,「アフリカのマリです」と答えると,大概の方は,「嬉しいです。動物が大好きです」と反応してくれます。我々は異文化圏の人や他者と出会うと,その他者をカテゴリ化し,一定のフレームに収め,さらに既存知識,先入観などでその他者を見てしまいます。このような批判はスキーマ理論によれば,人間は自分の体験したことを長期記憶に保存し,それに基づいて異文化の方々を判断してしまう癖があります。これがステレオタイプの指定とも呼ばれます。文化スキーマの違い,他者指定の違い,役割期待から生まれる問題は他文化や自文化に対する知識不足,コミュニケーションスキルの問題につながると思います。異文化圏に属する他者を一定の「フレーム」に収めることは,古くから存在する行為でもあり,そのフレーム化は,歴史的に差別の構造として機能してきたもあります。

生まれてから死ぬまで,ひとつの文化・社会のなかで過ごすというモデルは,グローバル化によって揺らいでいます。暮らしや学び,仕事のなかには,あらゆる国の人・物・仕組みがあふれ,もはや自国の常識だけにすがることは難しくなってきました。そして,軸となるアイデンティティがわからなくなったり,崩れたりしてしまっている人が,世界中で増え続けています。現代はまさに,アイデンティティ・クライシスの時代なのであります。「日本人」というアイデンティティも,例外ではありません。それは,教育や伝統によって引き継がれてきた意識にすぎず,絶対的なものではないということです。

社会学者のリチャード・セネットは「自信のなさの裏がえしから,排他的になりかねない」と指摘し,グローバル化する社会の中で生き抜くためには,「自分の足元をしっかり見つめ,身近な“異文化”を理解する」ことが重要であると述べています。

3.多文化主義と多様性を考える

そもそも多文化主義とはなんでしょうか。それを理解する必要があり,また多様な人々が構成する現代社会における多様性も理解する必要があろうかと思われます。多文化主義は,複数の文化的伝統が社会で受け入れられるだけでなく促進される状態を言います。

多様性は,人種,性別,宗教,性的指向,社会的経済的背景,および民族性の個人間の違いが存在し,認識されることです。学校,職場などで見られる多様性は,さまざまな背景から来る人々の権利を保護や推進する状態が多いです。また,多様性を推進するには,マイノリティ優遇政策だけではなく,マジョリティの意識改革に発展させる必要があります。多様性と多文化主義の主な違いは,多様性は個人間の違いを認める一方で,多文化主義はそれを受け入れる環境や土台づくりであります。

多文化共生社会を検討する過程で社会の多様性とグローバル化を認識することが最も重要であります。グローバル化はヒト,モノ,カネ,そして情報が国境を越えて自由に行き来し,それらの価値は一国の判断で決められないことであると定義できます。そのグローバルは個や特定集団が国の概念を超えて存在することと,価値はそのネットワークで判断され,1国のルールや政策で決めにくいところがかつての国際との違いがあります。

4.どのように多文化共生社会を実現させるのか

さて,これから多文化共生社会の構築をどのように取り組むべきかを考える必要があります。先にも示したように,文化というのは,固定ではなく,時代や構成員によって変化するものであります。その方法の一つはダイアログとコモンズの価値観を持つことです。古代ギリシアの哲学者,ソクラテスは,徹底的に対話を重視した人で,ダイアログを提唱しました。共生社会の実現には,当事者同士がダイアログという対話姿勢を持ち,それを通してそれぞれの課題を解決していきます。お互いの違いを共創・成長につなげ,「WHO AM I(私は何者か?)」「WHO YOU ARE(あなたは何者か?)」「WHO WE ARE(私たちは何者か?)」という自己の認識と他者の受け入れのプロセスが重要であります。また,さらに自分の言葉(ヴォイス)を持って相手と対話することが重要です。

在住外国人あるいは外国人市民として日本社会とどのように共生すべきか?日本社会や近隣住民との関わり・交流するプロセスの明確化とリテラシーが必要であります。かつて,スイスやドイツが多くの外国人労働者を受け入れたことがあります。その時の社会問題に対して,スイスの作家マックス・フィリッシュは「労働力だけが欲しかったのに人間がついてきた」という有名な言葉を残しています。つまり,これから日本にやってくる外国人の方々は,成人しており,自分の宗教や文化を持っています。また,異文化の人々が構成する社会の中で個々が自文化を維持しながら日本社会を学び,社会に参画する一員であることを認識する必要があります。他者と出会うことによって自分を再発見し,同化せずに日本社会の中で居場所を開拓することができれば,理想の多文化共生社会が実現できます。

アフリカにこのような諺があります。「If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together」(早く行きたければ一人で進め,遠くまで行きたければ,みんなで進め)。これからの社会はコモンズとして多文化共生を実現させるため,ダイアログと共創が必要であります。

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